更新01/avril/1999
 
交通事故と裁判
 
 
現在の日本の社会は、自動車の存在を抜きに考えることはできません。
乗る、運転する、隣りを走っている、道路に止まっている、
様々な形で、私たちは自動車と関わって生きています。
 
ここでは、もし、自分が交通事故にあったら、ということを考えてみましょう。
いろいろな方向から考えることができますが、
(保険金とか、医療とか、勤めている会社との関係とか、道路行政とか)
「裁判」という問題にしぼって考えます。
 
例えばのお話
 
Aさんは、車を運転していて、交通事故を起こしてしまいました。
Bさんが歩いている所を、後ろからはねてしまったのです。
Aさんが脇見運転をしていたのが原因です。
Bさんは、入院することになりました。
 
民事裁判
 
Aさんは、任意保険に入っていなかったので、
最低限の治療費は保険で払ってくれるようですが、それ以上は保険金は出ないようです。
 
Bさんは一家の大黒柱です。
入院が長期にわたると、仕事に差し支えます。
Bさんの収入がなければ、家族の生活に困ります。
治療費だけもらえばいい、というものではありません。
相手に責任があるので、治療費だけでなく、もっとお金を欲しいと思います。
 
ここで、Bさんがとるべき行動はなんでしょうか?
 
Bさんは、自分が原告、Aさんを被告として、民事裁判を起こすことができます。
この場合、相手方の不法行為による損害賠償を請求する、ということになります。
 
損害額は、治療費に限定されず、仕事を休んだことで生じた損害(売上げが減ったとか)や、
精神的苦痛という損害に対する賠償も、認められます。
 
#Bさんが事故で死んでしまった場合には、Bさんの家族が原告となることができます。
#Bさんが生きていればあるはずだった収入、家族の精神的苦痛などが損害とされます。
 
##ではもしも、Bさんが子供だったり、無職だったりしたら、どうでしょう?
##治療費しかもらえない?
##死んだら治療もしないから、1銭ももらえない?
##それって、なんか変ですよね。
##Aさんの立場からしても、相手が死んだ時より怪我だけの時の方が払う金額が多いなんて、絶対変。
 
実際には、賠償金額は、怪我の程度(もちろん死亡が一番重い)や過失の程度などから、
総合的に判断されます。
何がいくら、とか細かく計算するのは、いくら裁判官でも難しいです。
 
(これは、命の値段、とか、そういう問題ではありません)
(加害者の責任の取り方の問題です)
 
刑事裁判
 
さて、Aさんから見て、自分が脇見運転をして人をけがさせてしまったことについて、
これで責任はすべて果たせたでしょうか。
被害者のためにお金を払えば、それで終わりでしょうか。
 
たまたまBさんが被害者になりましたが、Aさんのしたことは、
自動車という走る機械を動かす免許を持っている人が、絶対にやってはいけないことです。
たとえわざとでなくとも、他人の身体や生命に危害を加えることは、
社会の一員として、重大なルール違反です。
Aさんは、そのルール違反について、社会に対して責任を取らなければなりません。
 
不注意で他人に怪我をさせることは、刑法によって犯罪と定められています。
そこで、犯罪を行ったAさんにどのような責任を取らせるのが適当か決めるために、
国を代表して、検察官が、刑事裁判を起こすことになります。
 
刑事裁判で、Aさんが社会に対して責任を取る必要あり、となれば有罪、
そこまでする必要はない、となれば無罪、ということになります。
#刑法211条業務上過失致死傷等の罪(5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金)
 
さてさて、Aさんの運転のせいで入院することになったBさんが、
Aさんの態度に腹を立て、すべてこいつの責任だ、許せん、と思ったとき、
Bさんは、Aさんを刑務所に入れるよう、裁判を起こすことができるでしょうか?
 
答えは、いいえ、です。
上にも書いた通り、刑事裁判を起こすのは、検察官の仕事です。
 
では、検察官が起訴しなかったら、それでBさんのできることは終わりでしょうか・・・?
  → 検察審査会とは? 
 
本当のお話
 
ここで、いくつか、現実に起こった事件を紹介します。
 
1996年4月、長野県長野市で、当時小学1年生だった竹内啓祐君が死亡した交通事故で、  
長野県検察審査会は、被害者遺族の申立てに基づき審査を行い、「不起訴不当」の議決をした。  
それを受けて、長野地方検察庁は再捜査をし、1998年12月、運転手を、業務上過失致死罪で起訴した。
1994年7月、大阪府河内長野市で、当時小学2年生だった、矢伏洋典君と吉澤宏紀君が死亡した交通事故で、  
1998年7月、堺検察審査会は、被害者遺族の申立てに基づき審査を行い、「不起訴不当」の議決をした。  
それを受けて、大阪地方検察庁は再捜査を開始した。  
一方、1998年7月、損害賠償を請求する民事裁判では、原告である遺族側の主張を認めて、  
被告である運転手に損害賠償の支払いを命じる判決が出た。
  ♪ 河内長野市・矢伏君吉澤君事件 ♪ (被害者の遺族が開いているサイト。リンクが充実しています)
1998年11月、東京都世田谷区で、当時小学2年生だった片山隼君が死亡した交通事故で、  
被害者遺族は、東京第二検察審査会に申立てを行い、更に、東京高等検察庁に不服申立てをした。  
東京高検は、それに基づいて再捜査を指示し、東京地方検察庁は、1998年11月、運転手を、業務上過失致死罪で起訴した。  
(ただし、ひき逃げ容疑については検察審査会で不起訴相当の議決。1999年1月)
  ♪ 隼ちゃん事件 ♪ (被害者の遺族が開いているサイト。関連した新聞記事などがフォローされています)
 
これらは、たまたま、私が新聞やインターネットで見つけた事件です。
他にも、同じようなことはたくさん起きていると思います。
 
私が持っていた知識では、死亡事故を起こせば、執行猶予がつくかどうかの問題で、不起訴になるとは考えられなかったので、
正直、このような事件が多いことに、とても驚きました。
こういうことが起こる理由は、上の ♪ 隼ちゃん事件 ♪のサイトで紹介されている、毎日新聞の記事で説明されています。
特に、被害者が子供の場合、「気付かなかった」「子供が飛び出した」という加害者の弁明が認められてしまうことが多いようです。
 
交通事故なんて、一生関係なければ幸せですが、
自分や家族や友人が、被害者になるかもしれない、ましてや加害者になるかもしれない、ということを常に考えてください。
 
上で紹介したサイトに行ってみて、交通事故に注意関心を持つと共に、
何のために裁判があるのか、合わせて考えてみてくれると、嬉しいです。
 
他に、二木雄策著「交通死−命はあがなえるか−」(岩波新書630円税別)を紹介します。
 
この本の著者は、神戸大学経済学部の先生ですが、6年前、娘さんが成人式を目前にして交通事故で亡くなりました。
保険会社の人と会ったり、その弁護士と会ったりするうちに、著者は、
カタログにあてはめて被害者の命の値段を決めるような態度に、非常に不満を持ちます。
その後、保険金の金額をめぐる調停、それに続く民事裁判、更に加害者の刑事裁判を通して、
著者は、裁判制度、保険金制度、弁護士のあり方などについて、色々な疑問を持つようになります。
 
私の感想としては、著者の意見すべてに賛成はできないのですが、
実際に裁判に関わった著者が、裁判と弁護士にとても不信感を持ったということは、
やはり裁判制度の現状には問題があるのだろう、と考えさせられました。
 
 
 
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