移民、政治、女性:米国本土プエルトリコ人移民女性と政治
岩手県立大学 志柿 禎子
email: shigaki@iwate-pu.ac.jp
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研究テーマ
米国におけるプエルトリコ人移民女性の存在は、既成の政治に影響を与えたか。
フェミニズムの議論のなかでナショナル・アイデンティティの問題がどう扱われてきたのか。
研究動機
プエルトリコでは、特定の目標を達成するために共同行動をとった80年代以降の女性運動が、女性運動内部に混乱をもたらしてきた党派主義の弊害を克服する可能性を示し、女性問題の政治的解決の方法を示した。その運動のあり方は、植民地問題に関して現行の自由連合州体制か、独立か州制移行かを巡る政治対立が政治の焦点となってきた政党政治の在り方とは異なるものであった。フェミニズムの盛り上がりが既成の政治のディスコースに変更をせまった例として重要である。米国領土のプエルトリコ人コミュニティでも同じことが起きているのではないか。
国連調査によるドミニカ共和国女性移民の例――現地の男性中心社会を逃れて渡米する女性の例
男社会が作り上げてきた政治機構、ナショナルアイデンティティの周辺に位置する女性
既存の政治の枠と異なる動きをする、権力の中枢にいない女性
ネイションへの帰属意識も男性よりは薄いのではないか(米国在住日本女性および韓国女性の例)
結果: 思ったような現象は見つけ出せない。(移民の歴史も百年を経て移民人口も増大し、ナショナルアイデンティティやネイションに対する意識の多様化が男女関係なく進行している。女性という存在よりは、移民社会の変化が影響して、ネイションに対する、あるいは植民地問題に対する政治の在り方への意識が変化している。)
プエルトリコ人女性のフェミニズムは、国家レベルでは影響力を持たない コミュニティレベルでの草の根活動、マイノリティ女性運動の一翼としての存在 プエルトリコ人女性は他のラテン系女性とともにマイノリティ女性としての視点、貧困にある女性の問題、ボーダレスな女性問題への視点などをアメリカ合衆国のフェミニズムに持ち込む プエルトリコ人というアイデンティティよりはマイノリティ女性という認識か、という質問には否定、マイノリティであるということは一つの現実である、ということに過ぎず、各人のアイデンティティの問題とは別個のものであるという指摘 ナショナルアイデンティティは多様かつ独自のものプエルトリコ人が政治の表舞台に進出しだしたのは最近、政治の場における女性の影響力については未知数
女性ということに限らず、米国に生活の根拠を置いた人には島の出来事が遠いことになる…移民一般に生じる変化
“ethno-nation”, “’nation’ without nation-states have not lost their languages or their ‘national cultures’ although their culture and languages have been transformed by the influence of the metropolies” (Negron-Muntaner, Frances, pp.74-75)
女性という利益集団以外の要素 移民という存在 マイノリティという立場 米国本土への移民が開始され一世紀が過ぎ、移民社会構成員の意識の多様性と、米国社会のエスニックやヒスパニックを取り囲む状況の変化のなかでのアイデンティティのあり方が変化1.2001
年9月ニューヨークでのインタビュー調査結果・アメリカ合衆国本土に、プエルトリコ人女性のフェミニズムと捉えられるようなまとまりはない。国のレベルではなく、コミュニティのレベル、州のレベルでプエルトリコ人女性たちが活動している。しかも、活動分野は、健康、教育、環境など多岐に渡る。
・最近ではトランスナショナルのレベルで、フェミニストたちが活動しているのが注目に値する。プエルトリコ、ビエケス島(Vieques)米軍基地の問題がその良い例。
・プエルトリコ人女性たちは、ラテン系女性たちとともに、women of colorのフェミニズムの一翼を担っている。マイノリティ女性の視点や第三世界の女性たちの視点を米国フェミニズムのなかに持ち込む。
・ここ30年ほどは、プエルトリコの島と米国本土の間で、学術分野での交流も進み、相互理解の機会が増えている。しかし、プエルトリコの島の人間とアメリカ合衆国本土に住むプエルトリコ人の間には大きな隔たりがあり、基本的には、異なる世界に住んで居ると捉えたほうがよい。
・米国本土に住むプエルトリコ系アメリカ人としてのアイデンティティには、エスニックとしての、あるいはマイノリティとしてのアイデンティティの要素が含まれる多様性を持つものであるが、そこにはアメリカ合衆国本土に特有なアメリカン・ドリームや民主主義、経済的豊かさなどの価値観も包摂されている
・また、プエルトリコ系アメリカ人としてのアイデンティティの出現は、それまで存在した、白人と黒人とからなるアメリカ合衆国、という認識を変更させた。ヒスパニック系の存在が表面化するに従い、白人と黒人とからなる社会ではなく、多様な人々、多様な文化からなるアメリカ合衆国という認識を社会が受け入れていく結果を生み出している。
2. アメリカ合衆国本土におけるプエルトリコ系移民社会の形成過程と政治
(20世紀前半プエルトリコ人移民社会形成の時期)
N.Y.ビト・マルカントニオ(VIto MarcantonIoハーレム出身のイタリア系移民の革新的傾向を持つ政治家)と、プエルトリコ人
1948年、プエルトリコ事務所( la OfIcIna del Estado LIbre AsocIado)
1950年代以降60年代前半、プエルトリコ人としての文化と自覚、プエルトリコ人パレード
政治活動の焦点―プエルトリコの政治的地位
島の上層階級出身者が、米国本土において政治の分野に進出、福祉政策 … あまり効果なし
60年代、アメリカ合衆国連邦政府による貧困撲滅運動
(60年代後半から70年代前半、改革の時期と政治への積極的参加)
60年代後半以降、プエルトリコ人コミュニティは政治的な改革の時期を迎える。
ヤング・ローズ党(Partido de los Young Lords)/
プエルトリコ社会主義党(Partido Socialista Puertorriqueno)/プエルトリコ左派運動委員会(Comite Movimiento de Izquierda Nacional Puertorriqueno)/プエルトリコ人学生同盟(Union de Estudiantes Puertorriquenos (Puerto Rican Student Union))など連邦政府のコミュニティ・アクション・プログラムなどの貧困撲滅
民族解放運動(Movimiento de Liberacion Nacional)、民族解放武装勢力
(Fuerzas Armadas de Liberacion Nacional)「投票の市民キャンペーン(Cruzada Civica del Voto)」
1972年、アメリカ合衆国民主党の大統領候補選出の代表議員に11人のプエルトリコ人が選出
メキシコ系アメリカ人とともにラテン系代表議員グループ (Latino Caucus)
(70年代後半以降、社会活動団体、政治団体の誕生)
1975年、コネチカット州、ハートフォードの「プエルトリコ人の投票(Voto Boricua)」
1984年、全米プエルトリカン・ヒスパニック選挙参加プロジェクト(National Puerto Rican−Hispanic Voter Participation Project)
1989年、ニディア・ベラスケス(Nydia Velazquez)が、プエルトリコ政府のプエルトリコ人コミュニティ局(Departamento de Asuntos de la Comunidad puertorriquena)
の仕事を引き継ぎ、選挙名簿人登録キャンペーンを展開、東海岸で20万人のプエルトリコ人が選挙名簿に登録1972年、全米プエルトリコ女性会議National Coference of Puerto Rican Women
1972年、プエルトリコ法律相談・教育基金団体(Puerto Rican Legal Defense and Education Fund)
1972年「アスピーラがニューヨーク教育委員会に対して行った訴訟(Aspira v. Board of Education of New York)」を担当、英語をあまり話さない児童のバイリンガル教育を実現
1977年、企業家団体、全米プエルトリコ連合(National Puerto Rican Coalition)
1981年、プエルトリコ政策研究所(Institute for Puerto Rican Policy)
1981年、プエルトリコ人の権利を守る全米会議(National Congress for Puerto Rican Rights).
プエルトリコ人の選挙参加行動
1970年、プエルトリコ出身のエルマン・バディージョ(Herman Badillo)がニューヨーク21
区から連邦議会下院議員に当選。―1978年まで1973年、マイアミでプエルトリコ人マウリセ・フェレ(Maurice Ferre)が市長に選出される。当時、マイアミは人口40万人でその半数がスペイン語を話したが、投票名簿登録を済ませていたのは、そのうちの15%に過ぎなかった。しかし、この選挙では、その多くがキューバ人である15%の彼らがマウリセに投票し、その結果、ヒスパニックグループが、人数として他のどのエスニックグループよりも大きなグループとなった。
1978年、ロバート・ガルシア(Robert Garcia)がニューヨーク21
区から連邦議会下院議員に選出され、バディージョの後を継ぐ-1990年まで1990年、ホセ・E.・セレーノ(Jose E. Serrano
)がニューヨーク21区から連邦議会下院議員に選出され、ガルシアの後を継ぐ1993年、ニディア・ベラスケス(Nydia Velázquez)がニューヨーク12区から連邦議会下院議員に選出される。米国議会で初のプエルトリコ人女性となる。ニューヨークタイムス紙はベラスケスの当選を米国におけるエスニックグループの政治的パワー台頭の証と宣言する。
1993年、ルイス・グティエレス(Luis Gutierrez)がシカゴ4区から連邦議会下院議員に選出され、イリノイ州で最初のヒスパニック議員となる。
プエルトリコ人と社会運動
政治の場への進出の基は、プエルトリコ人たちの地域での政治や行政に対する活動
60年代70年代、貧困撲滅キャンペーンでは、コミュニティのなかに多くの活動団体が出現、政治的な組織力が培われていった。
エスニックグループとしての強いアイデンティティの確立
社会運動のなかでの女性
プエルトリコ人の女性たちも活発に社会運動
エベリーナ・ロペス・アントネッティ(Evelina Lopez Antonetty 1922-1984)、プエルトリコ人コミュニティ運動の伝説的な女性リーダー、「プエルトリコ人コミュニティの母(mother of the Puerto Rican Community)
」、「ブロンクスの女傑(hell lady of the Bronx)」男女の間の経済的役割分担が、移民家庭で逆転
今後の課題
米国本土におけるプエルトリコ女性移民と政治という課題を考えていくうえで、地域で行われている生活改善運動や教育環境改善、バイリンガル教育推進などに取り組んでいる女性たちの調査
コミュニティ運動から生まれた政治家たちと女性と政治の関係、組織化の方法 社会活動団体の調査 米国本土プエルトリコ人政治活動団体における女性とナショナルアイデンティティの問題 プエルトリコ人社会とラテン系社会の関係
Bibliografia
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Archivo Oral (Todas las transcripciones se encuentran en el archivo personal de la autora)
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・Acosta-Belen, Edna, Entrevista a la profesora Edna Acosta-Belen, transcripcion de una entrevista grabada por SHIGAKI Yoshiko en la oficina de la profesora Edna Acosta-Belen (Social Science Building #250) en el Center for Latino, Latin American, and Caribbean Studies, University at Albany, State University of New York, el 14 de septiembre de 2001.
・
Souza, Caridad, Entrevista a la profesora Caridad Souza, transcripcion de una entrevista grabada por SHIGAKI Yoshiko en la oficina de la profesora Caridad Souza en el Centro de Estudios Puertorriquenos, Hunter College of The City University of New York, el 17 de septiembre de 2001.・
Lopez, Iris, Entrevista a la profesora Iris Lopez, transcripcion de una entrevista grabada por SHIGAKI Yoshiko en la oficina de la profesora Iris Lopez en el Latin American and Caribbean Studies Program at City College of The City University of New York, el 20 de septiembre de 2001.