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米国の文化多元主義とプエルトリコ人:マイノリティ運動のなかのプエルトリコ人

三宅(志柿)禎子

Multiculturalism in the U.S. and Puerto Ricans: Puerto Ricans in the Minority Movements

Miyake-Shigaki, Yoshiko

 

In this paper I would like to discuss multiculturalism and the Puerto Rican community in the U.S. Puerto Rican people have struggled against racism and poverty, and have reformed the education system as minority migrants, with African Americans and Latinos. After the civil rights movements in the U.S. the minority's voices have been gaining authority affecting the recognition of how the U.S. is composed. Now the concept of multiculturalism affects all aspects of society. The Puerto Rican community is also affected and in turn affects this social transformation as a part of the minorities in the U.S.

 

はじめに

 文化多元主義( multiculturalism )の主張が持つアメリカ社会の中での影響力の強さ、それは、アメリカが抱える多くの異文化集団の間に横たわる緊張感に比例している。また、それは、多くの異文化集団を抱える社会を一つの地域として一体感を創出し、ひとつの地域をまとめあげていくために主張されるアメリカ人としてのナショナリズムの強調にも比例している。

 しかし、つい最近まで、アメリカという国は、ヨーロッパ系白人で構成される社会であった。それが、大きく変化するのは、50年代以降、アメリカでのマイノリティの社会運動、公民権運動の盛り上がりを境にしてからである。アメリカ社会はこの時期、人種差別への抵抗運動、女性差別への抗議、反戦運動などが起こり、現在のアメリカ社会を特徴づけることになる社会変革の時代を迎えた。そして、アメリカ社会がどのような国であるのか、どのような人々によって構成されている地域であるのか、に関する認識を大きく変えた。このとき、アメリカ東北部に多く居住していたプエルトリコ人たちは、ニューヨークの黒人運動のなかで、差別や貧困、教育の問題と闘い、現在も同様に、ヒスパニック系住民たちとともに差別や貧困、教育の問題に取り組んでいる。このように過去から現在にいたるまで、プエルトリコ人は、黒人差別やマイノリティ差別への抵抗運動のなかで活動し、重要な役割を果たしてきた。しかしながら、以前には黒人運動の黒人として、最近では最大マイノリティとして注目を浴びるラティーノの一部として捉えられることが多く、本人たちはプエルトリコ人としてのアイデンティティを強く保持し続けている集団でありながら、アメリカ社会のなかでプエルトリコ人の存在が前面に出ていない現実が存在する。プエルトリコ人社会には、そのような現実に関する不満は存在しないのであろうか。彼らのナショナル・アイデンティティの強さや誇りは、この現実に対して軋轢を起こしていないのであろうか。あるいは、プエルトリコ人は、ひとからげにされることの多いアフリカ系アメリカ人や急激する他のヒスパニック移民と衝突することはないのであろうか。

 本稿では、黒人解放運動のなかのプエルトリコ人や、マイノリティ問題のなかで格闘してきたプエルトリコ人の軌跡を辿り、文化多元主義のアメリカとプエルトリコ人との関係を検討し、この側面に関する回答を探る。

 

1、ニューヨーク公立図書館ションバーグ黒人文化研究センター

 ニューヨーク、マンハッタン北部に位置するハーレムはジャズ・ミュージックなどの黒人文化の発信地として有名である。このハーレム地区に、黒人の歴史を研究する人々にとって、メッカとなっているニューヨーク公立図書館ションバーグ黒人文化研究センター (The Schomburg Center for Research in Black Culture, the 135 th Street Branch of The New York Public Library) がある。アルトゥーロ・アルフォンソ・ションバーグ (Arturo Alfonso Schomburg, 1874-1938) が収集した黒人の歴史や文化に関する資料が基になって設立された研究センターである。館内のミュージアムにはアフリカ系アメリカ人の苦難の歴史が写真とともに展示され、シンプルな展示であるが、その内容は重く、黒人たちがアメリカで受けてきた差別とその闘いの歴史に胸打たれる。ところで、意外なことに、このセンターの設立の要となったションバーグは、アフリカン・アメリカンではなく、プエルトリコ人である。しかし、この研究センター、一見したところではションバーグとプエルトリコとが結びつかない。ドイツ語氏名であるションバーグと飾ってあるだけに彼がプエルトリコ人であることがすぐには分からない上に、名前のアルトゥーロ( Arturo )も、アーサー( Arthur )と英語で書かれてあったりすると、ラテン系ということが理解されにくい。実際、ションバーグは著名な黒人知識人として広く認識されてきたようで、彼がプエルトリコ人であるという認識は最近になって急速に普及してきているようである。

 

2、アルトゥーロ・アルフォンソ・ションバーグ

 アルトゥーロ・アルフォンソ・ションバーグは 1874 年に生まれた。カリブ海の島、バージンアイランドのセントクロイ出身のムラータ(白人と黒人の混血)の母メリー・ジョセフ( Mary Joseph )とドイツ系移民の父カルロス・フェデリーコ・ションバーグ( Carlos Federico Schomburg )の間に生まれている。資料の多くは、アルトゥーロ・アルフォンソ・ションバーグについて、プエルトリコ生まれと記載されている。しかし、なかには、サントーマスに生まれ、プエルトリコで育ったという記述も見られる 1) 。同じ資料に、母メリーについて未婚の母、また白人の父から教育の援助を受けていたのかも不明という記述もあるが、カリブ海地域にはもともとキリスト教的な結婚文化が希薄な地域であるので、欧米文化や現代日本に見られる結婚観や家族観をそのままあてはめるわけにはいかない。また、父の援助がないということも、カリブ地域ではさほど特殊な事例ではない。プエルトリコの多くの家庭で、父親の存在は薄く、父親の不在、行方知れず、という話はさまざまなところで耳にする。また、小説や映画のなかでもそのようなケースが多く描かれ、母親や祖母が家族を支えていく姿はごく一般に見受けられる形であるので注意が必要である。

 アルトゥーロの生まれについて、ちなみに、ニューヨーク公立図書館のホームページでは、プエルトリコ生まれの黒人知識人と紹介されている。 ”Puerto Rican-born Black scholar and bibliophile Arturo Alfonso Schomburg 2) ” となっている。

 ションバーグは、プエルトリコの公立学校およびバージン・アイランドのサン・トーマスの学校で学んでいるが、学校の教師から、黒人には歴史もなく、偉業も成していない、と言われている。ションバーグは、その教師の間違いを訂正し、黒人にも歴史があることを示すために黒人の歴史をひもとく文献資料を世界中から収集し、黒人の歴史を発掘することに生涯を費やした人物である。

1891 年、 17 歳のときにニューヨークのローアーイーストサイドに移り住み、ニューヨークのキューバ系およびプエルトリコ系移民の革命運動に携わっている。当時はスペイン領であったプエルトリコとキューバの独立解放を目指す、独立運動組織「二つのアンティージャス」、ラス・ドス・アンティージャス( Las Dos Antillas ) の書記を務めている。また、プエルトリコ独立運動組織「プエルトリコ人とベタンセスクラブ」、ボリンケン・ベタンセス・クラブ( Club Borinquen Y Betances ) でも活発に活動していたようである。のちに、黒人運動のリーダーの一人、ジョン・エドワード・ブルース( John Edward Bruce )に黒人知識人グループに紹介され、また、アフリカ系の人々の歴史、文化などについて研究するよう勧められ、ハーレム・ルネッサンスの運動のなかの社会文学運動のなかに参加して行く。 1920 年代、黒人作家やジャズ・ミュージシャンがハーレムに集い、ハーレム・ルネッサンスと呼ばれる黒人文化を生み出し世界にその名を知らしめたが、ションバーグは、そのハーレム・ルネッサンスの重要なリーダーの一人である。ションバーグ自身はアフリカ系プエルトリコ人、アフロ・ボリンケーニョ( Afro-Borinqueno )のアイデンティティを持ち、黒人系プエルトリコ人として黒人運動に参加し、人種差別に反対、アフリカ系の人々の文化や歴史への貢献を掘り起こした。 1911 年、黒人の歴史に関する重要な出版物を出している古文書協会、歴史研究黒人協会( the Negro Society for Historical Research )の設立者の一人として働いている。 1914 年には、アカデミックな分野や教育の側面から黒人差別と闘っていた組織としては草分け的な、アメリカ黒人アカデミー( the American Negro Academy )の会員となり、 1920-29 年までその会長( president )を務めている。 1932 年から亡くなる年の 1938 までは、ニューヨーク公立図書館、 135 番通り図書館の黒人文学・芸術ションバーグコレクション( the Shomburg Collection of Negro Literature and Art )の館長を務めた。

 

3、アフリカ系プエルトリコ人とプエルトリコ人的なるもの

ションバーグは黒人知識人として知られているが、プエルトリコ人としてはさほど認知度が普及していない。このことに関して、例えば「アフリカ系アメリカ人がションバーグの功績を奪い、プエルトリコ人としての側面( Puerto Rican-ness )を無視している」という意見がある。

 

“Like I said, where is the love for Arturo Alfonso Schomburg among Afro-Puerto Ricans, and among Puerto Ricans, generally? From my, admittedly narrow, viewpoint it seems to me that African-Americans have completely "stolen" his legacy, and rarely do they acknowledge the brother's Puerto Rican-ness! What makes that astonishing, as well as disappointing, to me is that rarely is there heard a dissenting word from Puerto Ricans about this historical act of "thievery" on the part of African-Americans... It is as though this great human being has no substantive value to the Puerto Rican community, and, thus, he is so easily relinquished as an unimportant, insignificant figure to the Puerto Rican Community...3)”

 

 この意見に 対し、アフリカ系アメリカ人である高校の スペイン語教師は 「ラテン系の子供たちはアフリカに関するものに関心を示さない。ションバーグは、今までラテン系の人たちのなかで無視されていた。これまでのラテン系の人たちに関する教材や書籍のなかでションバーグが取り扱われているものが無かった」と反論している。

 

“ I am an North American Of African decent. I am also a teacher of Spanish and native Spanish at the high school level. I try to bring to the classroom knowledge of the Africans of the Latino world. Which is not an easy task, since these children want nothing to do with anything that is labeled African. This may be the answer, as to why it appears that the African North Americans have "stolen" the legacy of Arturo Schomberg. Arturo Schombergs name is not in any books about Latino heroes or great men of our times in Spanish print. 4)”

 

 この議論は一個人同士の議論で、これだけでアメリカにおけるプエルトリコ人のアイデンティティの問題を一般化してしまうには危険がある。だが、プエルトリコ人のプエルトリコ的なるものがアフリカ系アメリカ人の間で尊重されていない、という不満と、同時に、自らのルーツの尊厳を取り戻したい、というプエルトリコ人の気持ちが率直に語られている例として非常に興味深い。また、アフリカ系アメリカ人の教師が、アフリカ系という事実に関して関心を示してこなかったラティーノ側に問題がある、という指摘も同様に興味深い。

 シビル・ライツ・ジャーナル( Civil Rights Journal )のロバート・ナイト( Robert Knight )の記事「アフロ・プエルトリコ人、アーサー・ションバーグ( “Arthur 'Afroborinqueno' Schomburg” )」のなかでも、このプエルトリコ人的なるものに関する記述が見られる。記事のなかで、ションバーグのラテン系のルーツが知られていない理由のひとつとして、ションバーグがアフリカの人々のディアスポラに焦点を絞って歴史の掘り起こしをしてきたことが最も大きな原因だというニューヨークのプエルトリコ人の見解を取り上げている。プエルトリコの人々が持つアイデンティティは、カリブ・インディアン、タイノとスペイン人とアフリカ系の混血のアイデンティティであり、黒人、白人という人種区別のアイデンティティとは異なることがその原因となっているという見方である。人種に関する捉え方の違いが、黒人の地位を向上させるために闘ったションバーグの功績が、黒人、白人という区別がしっくりこないラテン系の人々からは良く理解されなかったという意見である。

 

"Puerto Ricans are a multiracial people -- the Taino Indians, the Spanish colonizers and the African slaves -- and as a multiracial people it was difficult for us to establish our identity in a country that defines racial identity only as black and white. Schomburg's research in that direction has made it a little easier, and was a contribution that we have been able to build on.5)"

 

 黒人、白人から成り立つ社会というこれまでのアメリカ社会の認識に違和感を持つラテン系の人の率直な感じ方を述べたものとして興味深い。

 確かに、プエルトリコ人社会の持つ肌の色に対する差別のあり方は、北アメリカ社会の人種差別とは、その形態も考え方も異なる。アフリカ系プエルトリコ人という言葉自体、アメリカ的な発想であり、プエルトリコでそのような言葉を耳にすることはまずない。プエルトリコは他のラテンアメリカ・カリブ地域の人々と同様、混血の人種であるので、プエルトリコ人全体が既にアフリカ系である。そこへ、さらにアフリカ系と前置きするのは若干違和感が生じる。プエルトリコの人々がアフリカ系アメリカ人とアイデンティファイするには、あまりにもその人種区別に関する文化が異なりすぎ、困難と感じるに違いない。従って、プエルトリコの人々がションバーグの功績に対して注意を払ってこなかった、という理由も合点が行く。

 ただし、プエルトリコの人々は、他のラテンアメリカ、カリブからの移民と異なり、既にアメリカ市民権を持つという点、音楽やダンスなどの文化に明らかなようにアフリカ文化の影響の濃いカリブ文化圏の人々という点で、アメリカ合衆国のマイノリティのなかでは、ラテン系のグループよりはアフリカ系アメリカ人に近い集団である、ということはつとに指摘されてきている 6) 。

 プエルトリコ文化圏の人間としては、アフリカンアメリカンと同じアイデンティティを持つことは困難であるが、共通点も多くあり、また、アメリカのなかで同じような立場にあり、共闘することも多いということである。また、上記引用では、「混血のアイデンティティを持つプエルトリコ人が白人と黒人という区別しかしないアメリカでアイデンティティを確立するのは難しいが、ションバーグの研究がそれを多少なりとも容易にしてくれている」とも述べられている。

 また、ションバーグ自身がプエルトリコ人として活動してたにもかかわらず、ラテン系コミュニティで認識度が低かった点について、時代の相違を考慮する必要がある。公民権運動前の人物であり、その時代はアメリカ社会はまったくの白人中心の世界であり、そこへ黒人のマイノリティが存在するだけの白人と黒人の社会であったことも忘れてはならない。アメリカ社会におけるプエルトリコ人たちの自らのアイデンティティの主張はやはり、50年代以降の社会変革のなかから、或は、その変革を通して意識化されてできあがってきた結果であり、従って、最近になって逆にションバーグがプエルトリコ人であったことに目が向けられるようになったとも言える。

 それは、大学におけるマイノリティ研究の設立運動などにも如実に表れている。以下に、プエルトリコ人移民を多く抱えたニューヨーク市の市立大学内の経緯を考察する。

 

4、ニューヨーク市立大学の黒人およびプエルトリコ研究学科

 ニューヨーク市立大学には黒人およびプエルトリコ研究学科 (The Department of Black and Puerto Rican Studies) がある。多くの大学では、プエルトリコ研究がラテンアメリカ・カリブ地域研究のなかに置かれる、あるいはラティーノ研究と一緒にされることが一般的である。従って、ニューヨークの市立大学の例は、他大学とは様相を異にしている。

 ニューヨークでは、黒人たちが先導した公民権運動の社会全体の盛り上がりのなかで、 1968-69 年と自分たちへの教育の質の問題を問題にし始めた黒人とプエルトリコ人とが共闘し、大学内に自分たちの歴史と文化を学ぶコースを設立する運動を起こした。その結果、 1969 年にニューヨーク市立大学ハンターカッレッジにその学科が設立された。現在この学科はプエルトリコ・ラティーノ学コース (Puerto Rico/Latino Studies Sequence) とアフリカ学コース (Africana Studies Sequence) とから構成されている。この学科の設立目的はその経緯からして、当初から非常に戦闘的であり、革新的である。そして、これまでのヨーロッパの経験を基にして形作られてきた学問体系を見直すことにその目的がある、と謳っている。学科説明のホームページには、

 

“all of our courses are designed to offer a `non-western` perspective that acquaints students with alternative to theories that have enjoyed unchallenged authority7)”

 

とあり、この学科が、ヨーロッパの経験に基づいた学問、教育体系を評価しなおし、ヨーロッパ系ではない自らのルーツを確立してく場であることが述べられている。ここには、白人対黒人という視点ではなく、ヨーロッパ系とは見なされないマイノリティの視点を大学の場につくり出すという意図が窺え、アフリカン・アメリカンとプエルトリコ人を中心とするラティーノの人々を視野に置いた学科が設立されている。それが、黒人だけではなくプエルトリコ人という文化の異なるマイノリティを抱えるニューヨーク市の大学の特色となっている。

 同時に、プエルトリコ人のニューヨークでの立場が、歴史的にも文化的にも 言語の側面でも異なる黒人と近い立場にあることも窺い知れる。

 以前ニューヨークで実施したインタビュー調査においても、同様の経験が語られたことがある。 70年代、プエルトリコ人たちは黒人として黒人運動のなかで差別に抗議していた。しかし、そこには、黒人として自らをアイデンティファイできないプエルトリコ人たちが出現し始めていた。アメリカで黒人として扱われるので、黒人だ、と自ら認めながら、どうしてもそう思えない、ということに気づき始めた、という経験談であった8)。

 黒人と白人とに区別するアメリカ社会のなかでのプエルトリコ人の立場は黒人であり、従って 60、70年代とプエルトリコ人たちは黒人たちと公民権運動を闘った。しかし、同時に、そのなかで感じたアフリカン・アメリカンとの違和感も含めて、それらの経験のなかから今日のプエルトリコ人としてのアイデンティティが形作られていったということである。それが、ニューヨーク市立大学の学科構成などにも表れていると言える。さらに現在では、このプエルトリコ研究コースには、プエルトリコに限らず、他のラテン系の移民の問題も追加されている。それは、今日、それらの移民たちの立場がプエルトリコ人の立場と似た状況にあることを意味する。

 

5、黒人運動からの分離と黒人問題の再認識

 前述したションバーグに関しては、プエルトリコ人ということで現在では急速にラテン系コミュニティでも認識されるようになってきている。そのことを表すように 1995 年にニューヨーク市立大学でプエルトリコのサントゥルセからハーレムに移り住んだションバーグとしてシンポジウムが開催されたことが、前述のロバート・ナイトの記事で挙げられている。

 

“Perez says Schomburg is becoming increasingly embraced by the Latino community as educational opportunities grow. Part of that growth was demonstrated at "Arturo Schomburg: From Santurce to Harlem," a multidisciplinary symposium held in May, 1995, in coordination with the Schomburg Center and Hunter College's Center for Puerto Rican Studies.9)”

 

 ここで注目したいことは、プエルトリコでも90年代になって黒人問題が浮上してきた点である。従来、プエルトリコでは、プエルトリコ人は混血であるので、黒人差別は存在しない、という説が通っていた。だが、実際には肌の黒さに関する差別は日常生活のなかで常に存在していた。この問題は、一種のタブーであったが、 90 年代以降、この問題がさまざまなところでオープンに議論されるようになってきた。それは、当然のことながら、アメリカ合衆国の黒人差別とは様相を異にする。しかしながら、公に認識されてこなかったプエルトリコ社会における黒人差別に関し、ここにきて新たな認識が要求されるようになってきたのである。前述した通り、アフリカ系プエルトリコ人という言葉を、プエルトリコで耳にすることはない。しかしながら、現実には、肌の白い人と肌の黒い人がいるし、差別も存在する。アフリカ系プエルトリコ人という言葉には違和感があるが、肌の色の黒いプエルトリコ人は存在していて、社会のなかでそのことによって不利益を受けている人たちがいる。差別への新たな視点がプエルトリコ社会のなかでも浮上し、ものの見方に変化を与えているのである。

 プエルトリコ社会は、アメリカでは黒人白人のみからなるアメリカ、という考え方への異論を提出し、プエルトリコでは黒人問題への新たな視点を同時に生み出しているのである。この点に関する詳細は、別稿で再度検討することとして、本稿では、黒人問題に関してプエルトリコにおいても新たな動きが出ていることを指摘するにとどめる。

 

6、結論

 本稿では、主にニューヨークのプエルトリコ人社会と黒人運動を中心として、アメリカのマイノリティ運動とプエルトリコ人社会の関係を考察した。その結果、プエルトリコ人たちが、黒人運動に参加していくなかで自らのアイデンティティに対する自覚を深めて行き、その動きがやがては、ラティーノとしての存在の主張と結びついていき、白人と黒人以外の人間も存在する、という主張になり、アメリカ社会がどういう社会であるのか、という視点に影響を与えてきたことが明らかになった。同時に、プエルトリコ社会もアメリカのマイノリティグループのなかで、アイデンティティを確立し、また、自らの社会のなかのマイノリティへの認識も変化していく、という経験を経ている。そして、それは、アメリカ社会が文化多元主義の社会へと変化していくのと同時に進行している。つまり、プエルトリコ社会の存在がひとつの異なる文化の存在を主張し、しかし同時に、自らも形を変え、そして、また、それが、アメリカ社会のひとつの姿となっていく、という事実を示している。それは、冒頭の疑問点に戻れば、プエルトリコ人としてのアイデンティティの強さや誇りは、他のマイノリティ集団と軋轢を起こしながら、アメリカ社会に新しい認識を生み出していっている、と結論づけることができる。そして、それは、「プエルトリコ人はいいアメリカ人になれるが、我々のやり方でなる、」という自らのアイデンティティを示すプエルトリコ人の発言にも端的に表れていよう 10) 。

 

1)http:/www.jimcrowhistory.org/scripts/jimcrow/glossary.cgi?term=s&letter=yes 2004/7/17.

2) http:/www.nypl.org/research/sc/about/history.html 2004/7/17.

3) http://www.afrolatino.org/Afrolatino/messages/1030.html 2004/7/18.

4) http://www.afrolatino.org/Afrolatino/messages/1036.html 2004/7/18.

5) http://www.wbaifree.org/earthwatch/schombrg.html 2004/7/17.

6) Floes, Juan, From Bomba to Hip-Hop: Puerto Rican Culture and Latino Identity , Columbia university Press, New York, USA, 2000, p.10.

7) http://www.hunter.cuny.edu/blpr/history.html 2004.7.18

8) SHIGAKI, Yoshiko, "Las migrantes puertorriquenas en la politica de Estados Unidos y Puerto Rico", Emigracion Latinoamericana: Comparacion Interregional entre America del Norte, Europa y Japon , The Japan Center for Area Studies Symposium Series No.19, The Japan Center for Area Studies, National Museum of Ethnogy, Osaka, Japan, 2003, p.163.

9) http://www.wbaifree.org/earthwatch/schombrg.html 2004/7/17.

10) Centro de Estuidos Puertorriquenos, Newlette of the Centro de Estudios Puertorriquenos , Centro de Estudios Puertorriquenos 30 years, Hunter College, CUNY, NY, USA, p.2.

 

参考文献

•  Acosta-Belen, Edna, Benitez, Margarita, Cruz, Jose E., Gonzalez-Rodriguez, Yvoonne, Rodriguez, Clara E., Santiago, Carlos E., Santiago-Rivera, Azara, Sjostrom, Barbara R., "Adios, Borinquen querida": La diaspora puertorriquena, su historia y sus aportaciones , USA , Center for Latino, Latin American, and Caribbean Studies University at Albany State University of New York, Municipio de San Juan Estado Libre Asociado de Puerto Rico, San Juan 2000 Ciudad de Futuro, 1998.

•  Centro de Estuidos Puertorriquenos, Newslette of the Centro de Estudios Puertorriquenos , Centro de Estudios Puertorriquenos 30 years, Hunter College, CUNY, NY, USA

•  Davila, Arlene, Barrio Dreams; Puerto Ricans, Latinos, and the Neoliberal City, University of California Press, Berkeley, Los Angeles, 2004, 260p.

•  Floes, Juan, From Bomba to Hip-Hop: Puerto Rican Culture and Latino Identity , Columbia university Press, New York, USA, 2000, 265p.

•  Melendez, Miguel, We took the Streets: Fighting for Latino Rights with The Young Lords , ST. Martin's Press, New York, USA, 2003, 256p.

•  Ortiz, Victoria, The Legacy of Arthur Alfonso Schomburg: A Celebration of the Past, a Vision for the Future With a Biographical Essay of Arthur A. Schomburg , Schomburg Center for Black, USA, 1988.

•  Sanchez Korrol, Virginia, Korrol, Virginia E., From Colonia to Community : The History of Puerto Ricans in New York City, USA, University of California Press, 1994.

•  SHIGAKI, Yoshiko, "Las migrantes puertorriquenas en la politica de Estados Unidos y Puerto Rico", Emigracion Latinoamericana: Comparacion Interregional entre America del Norte, Europa y Japon , The Japan Center for Area Studies Symposium Series No.19, The Japan Center for Area Studies, National Museum of Ethnogy, Osaka, Japan, 2003

•  Sinnette, Elinor Des Verney, Arthur Alfonso Schomburg: Black Bibliophile and Collector , The New York Public Library & Wayne State Univ Press, (1989/03/01)

•  Torres, Andr e s, Vel a zquez, Jos e E., eds., The Puerto Rican Movement: Voices from the Diaspora , USA, Temple University Press, 1998, 381p.

•  「別冊宝島 黒人学・入門」宝島社、 1993 年 210p.