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1999年10月12日〜24日にかけて、岩手県立大学盛岡短期大学部・国際文化学科2年生はアメリカ・ワシントン州にて研修を行いました。スペイン語を話す人の数が増え続けているアメリカで、実際にその広まりを見聞してきた1999年度「スペイン語とスペイン・中南米事情 T」受講生3名が、その時の貴重な体験をレポートにまとめてくれました。 |
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K.O君 「スペイン語体験記 in アメリカ」 | |
大森 茂さん 「アメリカでのスペイン語」 | |
N.Y君 「アメリカ研修旅行報告」 | |
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K.O |
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僕たち一行は、まずイースタンワシントン大学を訪問したのだが、この大学を案内してくれたり、ワゴンを運転して僕たちの移動に貢献してくれた学生が3人いた。そのうちのジョニーとスティーブと言う学生はスペイン語を話せた。ある日の買い物の時間、暇だったので「スペイン語を僕も少し習っているよ。」とジョニーに言ったところ、「ふうん、なら少し会話をしてみようか。」という展開になってしまった。まず、あいさつをし、それから名字をたずねられた。ここまでは対応できた。この後がたいへんだ。あまり難しいことを聞かれても解るわけ無いので、それならこっちから尋ねたほうが楽かな?と思い、この前のプレゼンテーションでやった通り「日曜日に何をしますか?」と言ったら、ものすごく面白そうな顔をしてなんか話しまくってきた。だめだ、全くわからないやと思っていたら、習った単語が出てくるではないか。よって「サッカーをする。」ということだけはなんとかわかった。 その後、昼食を一緒にとっていた時、彼にスペイン語のことでいろいろ聞くことができた。EWUでスペイン語を話せる人はそれほどいないということだ。ジョニーはスペイン語を専攻しているのだが、そのクラスに日本人が1人いるらしい。その人は文法や読解は非常に良くできるのだが、会話がまるでだめだということだ。単語を一語一語区切って話してしまうらしい。それでさっき「日曜日に何をする?」とジョニーに聞いた時、彼がごきげんだったのかがわかった。彼はクラスの日本人学生よりも、スペイン語初級者の僕のほうがしゃべり方が上手いといって笑っていたのだ。僕はただ授業で習ったのを適当に思い出し、それを言ってみただけなのでなんだか照れてしまった。そして「おたくのスペイン語の先生は一体どんな人だ?すばらしいな。」ともいわれた。 ここの学生は半年近くスペイン語を習っても「Hola」くらいしか言えない学生も多いらしい。ジョニーは「これからスペイン語はますますアメリカにとって必要な言語になるだろうし、だから将来はスペイン語の先生になりたい。」と言っていた。 次に我々はプロッサー高校を訪れたが、学生の3割はヒスパニックだったと思う。よってスペイン語で会話をしているのをよく耳にした。この時ホームステイをしていたのだが、ここの家は大農場を経営しており、従業員のほとんどがヒスパニックだった。ヒスパニックはアメリカのマジョリティーになっていくのかもしれないとおもった。 |
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大森 茂 |
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アメリカでのスペイン語の繁殖力は私の予想をはるかに越えており、今回の旅行で、スペイン語の人口はひよっとすると半数に匹敵するのではないかと思われた。 ワシントン州の中部に位置するプロッサァーの町のある区画では人工の75%がメキシコ人の場所があると教えてくれた。その後すぐに高校での体験が実感として理解できた。まずスペイン語の上級クラスに参加してみたが我々が大学で受けている内容よりはるかに難しくて理解度は5%ぐらいだ。授業の始まる前は必ずスペイン語でアメリカ合衆国への誓いを全員で言った後に始まった。先生はほとんどスペイン語で質問し生徒はみんなスペイン語で答えていた。私にもたくさん質問が来たが英語でしてくれとお願いした。普段はすっかり頭から忘れていたので挨拶と名前ぐらいしか思い出せなかった。後半になってからぽつりぽつりと単語を思い出してきた。これではまったくのお客様なので初級のクラスに移してもらった。ここでは時間、あいさつ、数を習っておりついていくことができた。今年から始めたクラスだった。放課後や休み時間にはスペイン語が飛び交っていた。 偶然にも私のホームスティーの奥さんがプロッサーハイスクールのスペイン語の先生だった。学生時代から何十回とスペインやメキシコに勉強や旅行で歩いていたそうだ。旦那は農場主でメキシコ系の人を三人雇用していた。スーパーに行ってみたらメキシコ系のおじさんが子供と買い物をしていた。メキシコ料理店もありスペイン語の看板も多く見受けられた。本当にここがアメリカなのかと疑いたくなった。スペイン語の先生の子供がスペイン語の塾に行くというので私も行きたいとお願いしたらすぐ先方の先生からいいよとの返事があったので参加した。5歳ぐらいから10歳ぐらいまでの年齢層で男女14,5人の子供たちでした。先生の前に座りテープお聞いて質問に答えたり、先生が出した問題をグループで家の中を捜して物、数、色の問題だった。長くやっている子供は3,4年もやっていた。単語は私よりはるかに覚えていた。 これらの短い体験をとうしてスペイン語は今ではアメリカになくてはならない言語だということを知った。 |
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N.Y |
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今回の研修では、自分が思っていた以上にスペイン語に触れることができた。まず、最初に訪れたイースタンワシントン大学では、スペイン語の講義に参加することができた。しかし、講義のなかで話す言葉がスペイン語であり、板書や学生からの質問などもスペイン語だった。正直な話、何を言っているのかはさっぱり理解できず、たまに聞いたことのある単語が聞き取れるぐらいだった。他にもプロッサー高校では、ほとんどの生徒らがスペイン語を習っていた。私がお世話になったホストファミリーの生徒もスペイン語を習っていて、少しだけだが話しをすることができた。ヤカマという街では、買い物に行った店の中で普通にスペイン語が話されていた。このように、広い範囲のスペイン語を聞くことができたわけだが、一番印象に残ったことは、大学でも高校でも生徒が楽しそうに授業を受けているということだった。今回の旅行ではいろいろなことを体験することができ、とても思い出深いものになった。 |
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