Nさんからの報告 1)メキシコ語学留学
期間: 2001.8.26~9.24
場所:
Mexico, San Luis Potosi…レオンの空港からタクシーとバスを使って 3時間ほど。映画「ザ・メキシカン」の舞台になった街。語学学校は、留学雑誌で調べました。当初予定していた語学学校と連絡がとれなくなったっため、急遽今回の学校に変更しました。航空運賃はネットで格安航空券をさがしましたが、夏休みの時期だったので高く、デルタ航空の30日間FIXで12万程でした。旅行保険はクレジットカード付帯のもので済ませました。レオン空港で降り、タクシーでレオンのバスターミナル近くで一泊し、そこからバスでサンルイスに向かいました。着いてみると私の語学学校は生徒数が少なく、私も含めて3人ほど。マンツーマンレッスンで1時間15ドルでした。それを一日4時間とり、3時間は文法と会話、残りの1時間はメキシコの歴史や遺跡について学びました。
ホームスティ先は、アメリカから移住してきた家族の家でした。一人部屋のバス・シャワーつきで、そのお宅にはインディアンのお手伝いさんがいました。ここでは1週間100ドルでご飯付きでした。食事は朝と夜は軽く、昼がもっとも豪華で、スープからコースで出てくるかんじでした。お肉やご飯をトルティージャで巻いて食べる料理が多かったです。特に食べられない料理はありませんでしたが、チリソースが必ず食卓に並びます。私は家族の真似をしてどばっとのっけて食べたら、後からくるジリジリした辛さに苦しみ、顔がまっかっかになってしまい、それ以後家族は私からチリソースを隔離するようになりましたので、周囲に心配をかけないためにも最初に自分が耐えられる量をはかっておいて下さい。 家族構成はお父さんとお母さんに子どもが3人で、毎日お手伝いさんとその子どもが来ていました。子ども2人が大学生だったので、彼らの行くところへ連れていってもらうことが多かったです。割とお酒を飲む機会が多かったのですが、私が感心したのは、メキシコの女性はお酒を飲んでも自分というものを決して失わないところです。ディスコに行った帰りにバーに寄ったのですが、男性は寝ているかラリってるかだったのに比べ、女性はみんなにこやか、しかし冷静で車の運転ができるほどでした。酔って吐いたりするのは多分おそろしく恥ずかしいことだと思います。そしてお手伝いさんとも仲良くなったのですが、彼女はお給料少ないと言い、ホストファミリーは、彼女は働かないのよと言っていました。 トラブルはほとんど無かったのですが、お金が底をつき、いよいよクレジットカードの出番だ、ということで使ってみたら暗証番号が違い使えませんでした。それで語学学校の先生や、現地のシルバーボランティアの方に大変ご迷惑をお掛けしました。ということがありましたので、カード会社や保険会社の日本へのフリーダイヤルの電話番号と、日本へのコレクトコールのかけ方くらいは、パスポートのコピーの裏にでも書いておいて下さい。絶対使わないだろうと思っていても万が一ということもあります。さらに運悪く、私の滞在中にアメリカへのテロの事件が起こりました。しかし私は事態がよく理解できておらず、会う人会う人に「航空会社に電話しろ。」と警告されていたにもかかわらず、どうせ英語もスペイン語もよくわからないし、と思いつつ何もしませんでした。そしてある日、先生のお友達の日本人の方のお宅へお邪魔した際に、どうやって帰るのという話になって、まあ何とかなるでしょうと私が答えたら、それはあまりにも楽観的過ぎると言う話になり、最後には、戦争が始まったら半年は日本に帰れないよ、前の戦争はウン年続いたんだよ、必ずまたテロは起こるからアメリカ系の航空会社は使うなキャンセルしろという話にまで発展してしまい、驚いた私は思わずトイレに駆け込んで大泣きしてしまいました。しかしその後皆さんにどこに電話すれば日本語で確認できる等いろいろアドバイスしていただき、また、ホストファザーに航空会社に電話していただいたところ、何の問題もないということが判明しました。しかし航空会社に毎日2〜3回リコンフォームした方がいいと言われ、いくらなんでも多すぎるだろ、と思いつつ毎日1回リコンフォームしました。ここで、語学留学だからといって、全く日本人とお付き合いしないのではなく知り合える人とはどんどんお友達になっておくべきだと思いました。現地で暮らしておられる方は、いろいろその土地の情報に詳しいですし、トラブルがあった時も必ず力になってくれると思います。もちろん中には良くない人もいるかもしれませんからその辺は見極めて下さい。 3週間程サンルイスで過ごした後、グアナファトへバスで移動しました。サンルイスは割と普通の町という感じでしたが、ここグアナファトは完全に観光地でした。バスターミナルからタクシーで移動する際の車窓からの風景を見てかなり興奮しました。宿は歩き方で見た宿に3泊4500円ほどで泊まりました。そして私はここで日本語教師をしておられる方とお会いする予定でした。しかしもらった電話番号が全く通じず、また泣きそうになりました。昨日は通じたのになぜだ、と思ったら携帯電話の番号は日本と違って、同じ市内からかける場合は手前の何桁かを押さないということでした。土産物やではボラれました。おつりはちゃんと確認しましょう。そしてなるべく小さいお札で出しましょう。また、宿がレストランの上にあったので夜とても暑く、加えてすごい蚊の大群に襲われ、自分で見ても薄気味悪いほどぼこぼこになりました。でも蚊に出会ったのはここだけで、宿の人はとてもいい人でした。そして無事予定していた飛行機に乗って日本に帰ることができました。 物価は全体的に日本と比べると安いですが、物によっては高い場合もあります。安いと感じたのは食品とバスです。町に一つはメルカドと呼ばれる市場があり、そこではスーパーよりもっと安く色々な種類の食材を手に入れることができます。メルカドへ行けば、日用品ならたいてい何でも揃います。長距離バスは会社によって値段が異なりますがバス自体はとてもきれいで快適でした。乗る前にパンと水をサービスしてくれるところもあります。バスには等級があるらしいのですが、私はきかれませんでした。市内を循環しているバスにも等級があるらしく、比較的きれいなバスとそうでないバスがありました。私の使ったバスの場合、前述のは3.3ペソ後述のは2.5ペソほどでした。運転手に直接お金を渡す場合と、運転手とは別に料金を集める係りの人が乗っている場合とがありました。その場合、客引きも兼ねていました。メキシコのバス停はあってないようなものです。タクシーのように手をあげればだいたい止まってくれます。降車の場合も同様です。タクシーも安いのでよく利用しました。逆に高いと感じたのは本や電気製品です。といっても日本の物価に比べれば同じようなものですが。今回全体的にとても楽しかったのですが、やはりもっとスペイン語でしゃべれたらもっとみんなと仲良くなれただろうなあと思いました。わからなくなると英語でコミュニケーションをとってくれたのですが、やはり最初の頃は「話せない」ということに引け目を感じてしまって、家族の会話に参加できないことがありました。だからやはり日本で勉強していった分だけ向こうで楽しく過ごせると思います。
(Nさんから、滞在中の様子について以下の便りをもらいました。2001/10/16) 私の場合は実を申しますと1週間目はなんだかどたばたして終わってしまい、ファミリーもまだなんと言いますか私をウエルカムな状態でワイワイがやがやもてなしてくれているわけです。そして楽しい嬉しいというかんじで2週間目に突入するのですが。2週間目になるとファミリーもこちらもある程度慣れるし、日本の話とか私の家族とか、お友達とか家族の決まりごととかそういった類の話題は話し終えてしまい、そこまでいくと子どもとかも私がどの位しかスペイン語が話せないし理解できないということまでわかっているものですから逆に一週間目より難しいと感じました。家族もそんなに、もちろん気を使ってくれますが、1週間目ほどじゃないわけで、自分から話しかけないと家族の話題から取り残されてしまう場合もあるわけで。しかしシャイな私はなかなかその自分から話しかけるということができなくて、そしてやっぱり家族と色々話すチャンスというのは週末におとずれるわけでして。週末にはホームパーティとか家族同士のハイキングなど家族外の人間を紹介してもらえるチャンスなのです。そういうふうに家族と一緒の時間とか共通の人の話とかを持ってからやっと、私の場合自分から話かける、あるいは家族の話題に自分からはいっていくという行為ができたように思います。今思い返してみると。しかしこれは私の場合ですので、例えば2人スティなどでしたら、心配ないのではないでしょうか。 1週間だけでしたらほんとに楽しいだけの思い出で帰ってこられると思います。でも2週間いたら、異文化の中で生活するって楽しいだけではないっていうことも勉強できるかもしれません。1週間多くいたからって何が変わるというわけではないですが、せっかく行くのでそればできるだけ長くいるのがよいのではないかな、と思います。スペイン語が通じるようになると、もっとしゃべりたいという気持ちがでてくるのでもの足りなく感じられるのではないでしょうか。私は会話できてきたのが2週間目を過ぎたころからでしたので(といっても昨日の午後はなにをした夜は何を食べたって程度ですが)そう思いました。 グアナファトの町は小さいので1週間で十分見てまわれると思います。先生、遅くなりましたがやっぱり行くのですか?いいなと。私も春休みどこか行きたいです。それではさようなら。