海を飛ぶ夢

MAR ADENTRO/THE SEA INSIDE

 

制作年度 : 2004年

上映時間 : 125分

監督 : アレハンドロ・アメナーバル

出演 : ハビエル・バルデム 、ベレン・ルエダ、ロラ・ドゥエニャス、クララ・セグラ 、マベル・リベラ 、セルソ・ブガーリョ

学生  M・O (2011)

感想

 この映画は主人公ラモンが下半身不随になり兄夫婦の世話によって支えられて生活するのだが人生に絶望したラモンが死を望むようになり尊厳死を望むようになり、ラモンを取り巻く家族、友人の葛藤や様々な問題を写した映画である。この映画は非常にリアルにできており普段あまり考えることのない「尊厳死」ということ に深く考えさせられる作品である。本人の生きることにたいしての苦しみや家族の葛藤などは観ていて気分が重くなったが「生」について考えさせられる。

 

学生  Y・T (2011)

あらすじ

 ノルウェー船の搭乗員として世界中を旅していたラモンが、25歳の夏にある事故で首より下が不随となってしまう。それ以来、実家で寝たきりの生活となったラモンは、農夫の兄ホセとその妻であるマヌエラなど家族の献身的な世話に支えられ余生を送っていた。しかし、事故から26年後、「依存する人生」に絶望したラモンは自らの死を渇望する。尊厳死を望むラモンとその家族・友人の葛藤や、それを取巻く様々な問題を描いたヒューマンドラマである。ラモンは、尊厳死団体のジュネ、弁護士のフリア、子持ちのロサと出会う。フリアは無料で弁護し住み込みでラモンとコミュニケーションを取り、情報を集める。その過程でラモンとフリアに想いを寄せていく。尊厳死の法廷での闘いの最中、フリアが発作で倒れてしまう。進行性の難病を患っていると診断されたフリアは、自らも尊厳死を迎える決意をし、ラモンとともに誰も犯罪にならずに済むよう死の計画を立てる。この時、ラモンは書き溜めていた詞を出版する計画を立てており、フリアは出版社を捜してアメリカを飛び回っていた。しかし、出版社が見つかりラモンの自伝が製本された頃、フリアは認知症を発症し、もはやフリアの協力でラモンは死を遂げることができなくなる手紙が届く。そのためラモンに思いを寄せ執拗に付きまとっていたロサの協力の下、遠く離れた郊外で誰の殺人の罪にもならないように綿密に計画した、自殺計画をロサの手伝いのもと行うことにする。ビデオカメラをまわし、最後のメッセージを残し、硫酸カリを飲み死亡する。フリアは症状が進みながらも、夫と暮らしていく。

感想

 胸が詰まる作品であるが、非常に観やすく、心に響く映画だった。登場人物それぞれの心情が、とても上手に表現されていた。フリア(難病になった女性弁護士)が、ラモンと一緒に死ぬと約束していたにも関わらず、やはり死を恐れたのか、ラモンの元に表れなかったシーンが妙にリアルで印象深かった。また、そのあとのラモンが、彼女が表れなかったことを悲しむのではなく、自分と同じような心情の彼女さえ生きようとしているのに、なぜ自分はこんなにも死を願うのか、と泣き叫ぶラモンが切なく、たまらないシーンだった。生き続けようと必死に頑張っている人もいれば、彼のように死を望む人もいる。どちらも同じ気持ちの重さ、どちらも同じ命の重さであり、とにかく切なく素晴らしい秀作だと思った。ほんの少しでも、気持ちを理解したいと思った。

 

学生  K・H (2011)

あらすじ

 ノルウェー船のクルーとして、世界中を旅して回ったラモン・サンペドロは25歳の夏、岩場から海へのダイブに失敗して頭を強打し、首から下が不随の身となってしまう。それ以来、実家のベッドで寝たきりの生活になり、兄のホセ、その妻マヌエラら家族に支えられて生きていた。だが事故から26年目を迎えた時、ラモンは自らの選択で人生に終止符を打つ決心をした。最初にラモンが接触したのは、尊厳死を法的に支援する団体のジュネという女性だった。ラモンの決断を重く受け止めた彼女は、彼の死を合法化するために女性弁護士フリアの援助を仰ぐ。彼女は2年前に不治の病を宣告されており、ラモンの人柄と明晰さに感銘を受けた。またもう一人、テレビのドキュメンタリーを観てラモンに会いにやってきた子持ちの女性のロサも、最初はラモンと揉めたが、やがて彼の元をたびたび訪れるようになった。そうして尊厳死を求める裁判の準備を進める中、フリアが発作で倒れてしまう。やがてフリアが回復し、ラモンの家に戻ってきた時、彼女は自分が植物状態になる前に一緒に命を絶とうという提案をする。約束の日はラモンの著作の初版が出版される日と決めていたが、フリアは約束を守ることができなかった。そしてラモンは、ロサの助けを借りて、海の見える彼女の部屋で尊厳死を遂げた。

感想

 尊厳死の可否は患者本人の立場で考えるか、遺族の立場になって考えるかによって大きく変わると考える。患者本人の立場で考えると、生きることは“義務”ではなく“権利”であり、自分の命は自分のものであるということだろうか。逆に、遺族の立場で考えると、患者の命は患者本人が好きにしていいというものではないという考えがあると思う。自分がもしもラモンの立場なら、やはり人の助けなしでは生きられず、自由な生き方ができないなら生きていても仕方ないと考え、死を望むだろうと考える。しかし、もしも自分の家族や友達など大切な人が尊厳死を望んだなら自分は賛成できないと思う。人間の死は取り返しがつかないことであるため、いくら本人が死を望んでいてその気持ちを理解していたとしても、頭ではわかっていても割り切れないものがあると思う。この映画を見たことによって、命とは何かということについて考える良い機会になったと考えるが、うまく考えが一つにまとまらなかった。この映画を家族や友達などと一緒に見て討論してみるのもいいと思った。

 

学生  R・K (2011)

あらすじ

 主人公ラモンは、事故で首より下が付随となり、家族などの世話がなければ生きていくことができなくなります。後にラモンは、他人に依存した人生に絶望感を感じてしまいます。そして、当時は社会的にも法律的にも認められていなかった、尊厳死を求めての闘いが始まります。

感想

 この映画は、ヒューマン映画なだけに、ラモンの生き方や考えがとても深いものでした。ラモンは、死ぬということは逃げるということではない、と考えています。この考えは、回りの人々にはなかなか理解しがたいものです。自分で行きたいところに行くこともできず、他人に依存しなくてはならない状況にいるラモンならではの考えです。尊厳死を求めるラモンに、ラモンの兄は反対の立場でした。弟が死を望んでいるのですから、兄として反対するのも当然です。ラモンは、自分を介護してくれている人々まで、自分のせいで不自由させてしまっている、という気持ちが強かったのだと思います。周りの人々に迷惑をかけてまでして生きている自分という存在に嫌気がさしたのです。自分には「尊厳」がないと感じてしまったのです。ラモンと同じ状況にいる人は数少ないですし、同じ状況にいる人でもそのような考えを持つとは限りません。違う状況にいる人の考えを完全に理解することの難しさを感じました。

 印象に残っているシーンは、ラモンが想像上で空を飛び、海まで行くというシーンです。自分の力で行きたいところに自由に行く、それはラモンが心から望んでいることでした。そして想像から覚めると、いつものようにベッドの上に寝ている現実に心を痛めるのでした。

 見どころは、ラモンの考えが社会的に認められ、「尊厳死」の法律が整備され、晴れてラモンが望んでいた、「尊厳死」ができるかどうか、というところです。

 また、ラモンの弁護士であるフリアの考え方の変化も見どころの一つです。フリアの過去、「尊厳死」を法律で認めてもらうためにラモンと共に法廷で闘う場面など、見どころはたくさんあります。

 この映画に興味を持ったら、ぜひ見てみて下さい。

 

学生  M・M (2011)

感想

 実話を基にしたドラマということに驚いた。全体的に暗い話だったが、改めて生と死、そして「尊厳死」について考えさせられた。

 登場人物によって、宗教観や尊厳死に対する考え方が異なっていたことがうかがえた。

 視聴している間、私は彼の家族や女性たちの気持ちになっていった。愛する者が自ら尊厳死を望んでいたら…と考えると、とても複雑なものだった。彼は生きる苦しみを味わっている。死の選択に反対する神父と主人公ラモンとのやりとりは、心に響くものだった。愛する者のために、はたしてどうすることがベストなのか、考えてみたが、答えは出なかった。

 逆に、自分がラモンの立場だとしたら、どう考えるのか。生きる気力、楽しみ、そういうものが見つけられなかったら、私もラモンと同様、尊厳死を希望していたかもしれない。けれども一方で、そんな自分あっても愛してくれる人、必要としてくれる人、生きることを願っていてくれる人がいたなら、それを生きがいとして生き続けていこうと思うことができるかもしれないと感じた。

 本当に多くのことを考えさせられた映画だった。

 

学生  T・Y (2011)

感想

 船のクルーとして、世界中を旅して回ったラモン。そんな彼は25歳の夏、岩場から海へのダイブに失敗して、首から下が不随の身となってしまう。農場で懸命に働く兄のホセ、母親のような愛情でラモンに接するホセの妻マヌエラなど、家族は献身的にラモンの世話をしている。だが事故から26年目を迎えた時、ラモンは、自らの選択で人生に終止符を打ちたいという希望を出した。最初にラモンが接触したのは、尊厳死を法的に支援する団体のジュネという女性。ラモンの決断を重く受け止めた彼女は、彼の死を合法化するために弁護士フリアの援助を仰ぐ。実はフリアは2年前に不治の病を宣告されており、ラモンの人柄と明晰さに感銘を受ける。またもう一人、テレビのドキュメンタリーを観てラモンに会いにやってきた子持ちの女性、ロサも、最初はラモンと揉めたが、やがて彼の元をたびたび訪れるようになった。そうして尊厳死を求める闘いの準備を進める中、フリアが発作で倒れてしまう。やがてフリアが回復し、ラモンの家に戻ってきた時、深い絆を感じた2人は口づけを交わし、フリアは自分が植物状態になる前に一緒に命を絶とうという提案をする。約束の日はラモンの著作の初版が出版される日と決めていたが、フリアは夫の説得によって死の決意を翻してしまった。そしてラモンは、結局ロサの助けを借りて、海の見える彼女の部屋で尊厳死を選ぶ。一方フリアは、痴呆症の進行によって、ラモンの記憶を失くしてしまうのだった。

 完成度が非常に高い作品で、観ていて泣いてしまいました。尊厳死という非常に難しい問題に正面から挑んでいてそれを主人公の周りの人々の、良心とか愛情とか真心とかで編集されている作品ですが、そのどれもがうさんくさくなく感動しました。尊厳とは、心の問題なので、心の自由と体の不自由、夢の自由と現実生活の不自由のなかで、生と死の選択の問題が描かれていました。最後にどれに一番重きをおくかは、正解は絶対になく個人の選択の問題なのですが、現実は周りの人や自分がなくなった後のことを考えなくてそうは行かないしばりがあると考えさせられました。普段考えることがない尊厳死という難しい問題を考えることができてとても有意義な時間を過ごすことができました。

 

学生  K・Y (2011)

あらすじ

 海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、その年、自ら命を絶つ決断をします。人権支援団体で働くジェネは、ラモンの死を合法にするため、弁護士のフリアの協力を仰ぐ。法廷へ出る準備を進め、ラモンの話を聞くうちに、フリアは強く彼に惹かれていきました。ある日フリアは、ラモンの家で発作に倒れます。不治の病に冒されたフリアは、やがて自らも死を望み、ラモンの死を手伝う約束をします。

感想

 なんとも胸が詰まる作品でした。しかし非常に観やすく、心に響く映画でした。登場人物それぞれの心情が、とても上手に表現されていました。フリア(難病になった女性弁護士)、ラモンと一緒に死のうと約束していたにも関わらず、やはり死を恐れたのか、ラモンの元に表れなかったシーンが妙にリアルで印象深かったです。痴呆が進行したのではなく、あれは完全に自分の意思でやめたのだと思いました。そのあとのラモン、彼女が表れなかったことを悲しむのではなく、自分と同じような心情の彼女さえ『生きよう』としているのになぜ自分はこんなにも『死』を願うのか、と泣き叫ぶラモンにこちらも胸が苦しく切なく、たまらないシーンでした。28年間、彼は何を想って生きていたのでしょう?彼の中では「生きている」という感覚ではなかったのかもしれません。生き続けようと必死に頑張っている人もいれば、彼のように死を望む人もいる。どちらも同じ気持ちの重さ、どちらも同じ命の重さ、なのだろうと思いました。とにかく、切ないのですが素晴らしい秀作でした。

 

学生  F・U (2009)

感想

 この作品は、海での事故により脊髄を損傷し、顔以外の体のすべてが麻痺してしまい、不自由な生活を送っているラモンという男性が主人公です。この男性は寝たきりの生活を送っており、彼の世話は彼の義姉や甥など家族たちがみています。

 この作品の大きなテーマは尊厳死で、この映画はラモンが尊厳死を望み、裁判所に尊厳死を合法と認めてもらえるように裁判を起こすところから始まります。 

 スペインでは尊厳死を認めておらず、違法となります。そのため、ラモンはフリア弁護士に頼み、自分の死を公に認めてもらおうと活動しています。このフリアという弁護士も不治の病を抱えており、ともにラモンの死のために活動していきます。

 この作品は実在した、ラモン・サンペドロさんの手記をもとにして作られた映画です。ラブストーリーというジャンルだったのですが、どちらかというとヒューマンラブストーリーな気がしました。ラモンの尊厳死という願いと様々な思いを抱えて彼と衝突していく家族や彼を取り巻く人たちの様々な思い、そしてフリアの願いという死をテーマに様々な人たちの思いが交錯しています。この映画の見所はそんな彼らの思いにあると思います。

 私はこの映画を見るにあたり、尊厳死について考えました。尊厳死=自殺というくくりにはならないと思います。家族と話したことがありますが、痛い思いや苦しい思いをするくらいなら安楽死するのが一番だと考えます。自殺と何が違うといえば、はっきりと違いを言えることはできませんが、生きることは義務ではないと思います。権利だと思うからです。

 ラモンは人生の半分以上もベットの上で過ごし、どんな思いだったのでしょうか。家族に支えられて生きていかなければならないこと、彼はどんな思いでその人生の幕を閉じたかったのか。彼に実際に聞いてみることはできませんが、きっと彼にとって生きることで人生の楽しみを感じることもできず、家族への重みになっているのではないかと自責の念にとらわれてしまったのだと思います。

 私が一番心打たれたのは、ラモンが裁判所から訴えを却下されまた、死ぬことができない苦しみにうなされている場面でした。そのときの彼は本当に苦しそうで、こんな姿を見続ける家族も苦しそうでした。

 ラモンの家族も彼に死んでほしくはないのです。でも苦しんでいる彼を見続けることはできないのでしょう。最後には彼の願いを尊重する道を選びます。

 私も自分の家族がラモンのように尊厳死を望んだら、はじめは大反対すると思います。死んでほしくはないです。でも、もし家族の苦しむ姿を見たら、きっと最後にはその意思を尊重するのだろうと思います。なぜなら、本当にその人を思っているのなら、その人の意思を尊重することが正しいのではないかと考えるからです。その意思を無視して、自分のエゴを押し付けるのは違うと考えるからです。

 この映画は是非、大学生に一度は見ていただきたい映画だと思います。尊厳死という言葉を聞きなれてはいないでしょうが、よく考えてほしいです。

 自分なりの答えを持ってほしいテーマであると考えます。

 

学生  T・D (2009)

感想

 人間が社会的生物である以上、人間の終点である死でさえも、やはり社会的だ。尊厳死問題という言葉がある。現実においてこの語彙は、映画と同様に、「殺した側に与える影響」をもって語られる。本作において主人公は全身不随の体になってしまう。生きることを辛いと感じ、死を選びたくとも自殺すらできず、尊厳死を試みる。だがそこには他人の存在が必要であり、その協力者の一人が本作のヒロインとなっている。先に言ってしまえば、この作品においては、その点をずる賢く回避してしまっている。ヒロインが主人公とコミュニケーションを取り、このままいけば自殺に加担したこと、身近な人間を殺す手伝いをしたことに多大な心理的負荷を感じるだろうと見せかけたところで、ヒロインは痴呆を患ってしまう。全く持って、ご都合主義的だ。だが現実はそうはいかない。何せ医者が尊厳死の為に安楽死処置をするたび痴呆にかかっていては、医者不足が深刻化してしまう。では、少しだけ考えてみよう。尊厳死は認めても良いか?個人的には認めてもよいと思う。認めない立場に立てば、生の苦しみを負えと言っていることと同義だ。それはさすがに、辛らつにすぎる。ただし方法を考えるべきだろう。本作において主人公達は、尊厳死を手伝わされたと思わせないよう、綿密な計画をたてて、尊厳死を完了させた。子供に睡眠薬の混入を頼み、また別の人には水に溶く作業を頼み、誰にもわからない様に実行した。現実においても尊厳死を認めるなら、そうあるべきだろう。何せ死刑執行でさえ、執行者達には誰が執行したか解らないようになっているのだから。

 他については特に言及すべきこともないだろう。全身不随となった主人公を献身的に介護し続けた家族というのは聞こえは良いが、本人達にとっては悲惨以外の何者ではない。生きていてくれてよかったという喜びと、身じろぎすることすら出来ない人間を見続けるという苦労の狭間には、計り知れない苦悩がある。お話だから美談になっているが、現実にあったら悲惨以外の何者でもない。

 個人的な嗜好はあるが、どうにもしっくり来ない話だった。唯一の見せ場といえば不随となった主人公がタイトル通り、空を飛ぶ夢を見る所くらいか。それにしたって、予定調和な夢、僕らのような健常者ですら想像できる事であって、それを生かすには普通ではない演出力が必要だが、それがあったようにも思えない。残念な作品だったと思う。

 

学生  U・K (2009)

感想

 最初から最後までひとつひとつの言葉にいろいろと考えさせられました。ひとりひとり、生きる意味は違うし、ラモンのように四肢付随になっても生きることは意味のあることだという神父もいて、「尊厳」とか、「人生」の意味は、一般論では語ることができないと感じました。

 この作品全体を通して、ラモンとフリアの二人を比べて観ると、さらに「生」とは何かについて考えることができると思います。フリアは、ラモンの弁護士としてラモンの家にやってきます。フリアは足に障害があり、発作を起こせば足だけでなく、体のほかの部分にも障害が出てくるかもしれない病気を持っていました。

 ラモンが死を選んだのは、「今の状態で生きていたら尊厳がないから」でした。車椅子にのることは、失った自由の残骸にすがりつくことだと言って、車椅子をとても嫌っていました。過去を話すよりも未来(死)について話したいラモンと対称的に、いつか足だけでなく視力も失うかもしれないフリアは、「夢のために努力するのは虚しいだけ。こんな生き方は嫌だ。」と感じていて、「過去は怖くない。未来が怖い。」と言います。未来に希望や夢がある人にとって、体が動かなくなってしまうことは考えただけでも辛いことだと思いました。「自殺」と「尊厳死」の違いも考えていくうちにだんだん分からなくなっていきました。言葉が違うだけで実は同じことなのか、「逃げるための死」が「自殺」で、「逃げではない死」が「尊厳死」なのかなど、いろいろ考えてしまいました。

 最後は、ラモンは裁判では認められなかったけれど、ラモンを愛する人たち(死を手伝ってくれる人)の手を借りて、薬を使って自ら命を絶ちます。フリアは、病気が進み、話をすることもまともにできなくなり、ラモンの存在も思い出せなくなってしまいます。ラモンの本が出版されたときに一緒に死ねば良かったのか、このまま何も分からないまま生きていくのが良かったのか分からなくなりました。ラモンとフリアの二人を登場させることで、「生」の意味、「死」の意味をより深く考えさせていて、すごい作品だと思います。結局自分の中で考えがまとまらないまま終わってしまったのですが、かなり観る価値のある映画だと思います。

 

学生  T・K (2008.1.29)

あらすじ

 海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、その年、自ら命を絶つ決断をする。人権支援団体で働くジェネは、ラモンの死を合法にするため、弁護士のフリアの協力を仰ぐ。法廷へ出る準備を進め、ラモンの話を聞くうちに、フリアは強く彼に惹かれていった。ある日フリアは、ラモンの家で発作に倒れる。不治の病に冒されたフリアは、やがて自らも死を望み、ラモンの死を手伝う約束をする。 この作品は一生の半分をベッドの上で過ごし、自ら死を望んだ実在の人物、ラモン・サンペドロの手記をもとに描く真実のドラマ。

感想

  尊厳死をめぐり、生と死の意味を問いかけ、命の大切さと尊厳死のあり方について考えさせる作品。また、残された家族や友人達の思いがとても心に残った。自分の身に置き換えて考えることなど決してできないが、今の自分の身体に感謝して人生の目標を持って生きたい、と感じた。